ランチア・デルタの変遷

ランチア・デルタはイタリアの自動車会社のランチア社を代表する車です。
ランチア・デルタは色々なシリーズが発表されていますが、実はランチア社創世記の頃にも「デルタ」がありました。
しかし、名称以外は何も関係がなかったため、一般には1979年発売のハッチバック乗用車を初代として扱っています。
現在はフィアットに吸収されましたが、その後もこの「デルタ」シリーズは5ドアハッチバックの一車種のみで作り続けられました。
1982年に「デルタ」がベースの4ドアセダンを発表しましたが、すぐに「プリズマ」という名前で独立した車種となって「デルタ」は相変わらずのままでした。
デザインでは車に限らず定評のあるイタリアの車なので、フェラーリなどには及びませんがランチア・デルタも洗練されたデザインに仕上がっています。
見た目も大型車と言うタイプではないので、日本でも好まれています。

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目指すはゴルフ

1975年当時のヨーロッパでは、ドイツの大人気大衆車のフォルクスワーゲンが「ビーグル」に変わる大衆車として登場させた「ゴルフ」が人気になり。2ボックスブームのリーダーとなっていて、この流れに乗ると共に、ゴルフと肩を並べる為に投入されたのがこの「ランチア・デルタ」なのですが、面白いのは、デザインをゴルフを手掛けたジョルジェット・ジュジャーロのチームに依頼している。という事で日本ではまず考えられないことです。
質素な大衆車のゴルフに対して、高級感を出す為に、人工皮革のアルカンタラを使用したり、ランチアらしい内装を上品にした、ゴルフとは一味違う高級感を演出し、「小さな高級車」の地位を獲得しました。
ヨーロッパの車産業はラリーの変遷と車の関係は深いものが在り、ランチア・デルタの場合も、1987年〜1991年の世界ラリー選手権(WRC)に参戦し、6度の年間チャンピオンに輝いた「HF Integrale」が日本では人気を呼び、スポーツモデルバリエーションの「インテグラーレ」シリーズが「デルタ」としてとらえられていました。

ランチア・デルタの近況

日本人の「インテグラーレ」好きは、「インテグラーレ」の輸出数の大体半分くらいが日本向となっていることからも、納得できます。その後1989年には「HF インテグラーレ 16V」となってよりWRCという過酷なレースを戦い抜く改良が加えられました。
これも日本には相当数が輸入され、未だに結構見かけることがあります。日本ではこの「デルタ」シリーズがよほど気にいったらしく、1995年の最終ロッドの限定車の日本向の「コレッツィオーネ」は当初200台の予定だったのが、盛んな受注に答える為に250台に変更されたほどでした。
その後、2000年に「デルタ」シリーズは生産終了となりましたが、ランチア創立100周年記念として、2006年9月5日のヴェネチア国際映画祭で第3世代のランチアの「ランチア・デルタHRE」として発表され、2009年イギリス向け右ハンドル仕様が追加になるのを機に日本にもデルタを投入するため、ランチアの正規輸入を再開するそうです。
また、日本人の心をつかんだ以前の「デルタ」」も中古ですが、まだまだ相当数がありますので、入手は可能です。

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Copyright © 2008 ランチア・デルタは日本好みの車です。

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